ことばの輪郭と図形の用語

赤ちゃんの言語習得

赤ちゃんが言語を獲得してしていく上では,多岐にわたる困難が発生する.
その物語は,赤ちゃんが受ける,色,音,触覚,気温,ありとあらゆる初めて尽くしの刺激の中で「同じ“音”が一定の意味を表す」という大発見から始まる.
そこから単語の切り出し方やその意味,動詞,さらにその活用など,無意識とはいえたくさんの判断のもとで,子どもたちは言語を習得していく.

そんな中,数学教育の観点から興味深いなと思ったのは,単語の意味の推測.
例えば私の娘は,1歳ごろ,ようやく単語を2,3個発せるようになった.そのうちの一つに「パン」があった.食パンをよく食べていて好きだったのもあるが,彼女はなんと「ご飯全般」のことを「パン」と呼んでいた.
※ 我々日本語話者は白米のことも「ごはん」というが,食事全般も「ごはん」と言う.そう思えば,彼女の「パン」の捉え方は間違いではある一方で,なかなか筋はいいなと感心したものである

ガヴァガーイ問題

ことばの発達を考える上で有名な「ガヴァガーイ問題」といわれるものがある.
自分が知らない言語の話者が,白いウサギが飛び出してきたときにそれを指差し,「ガヴァガーイ」と言ったとする.このとき,「ガヴァガーイ」が何を指すかは論理的には判断できないというものである.
「ガヴァガーイ」=「ウサギ」,「耳」,「白い」,「動物」,「白い動物」,ウサギの名前,「ジャンプ」,「かわいい」,「美味しそう」…さまざまな可能性が考えられる.つまり,一つの指示から一般化できる可能性はほぼ無限にあり,子どもがことばの意味を学習していく上で避けては通れない問題であるという.

この問題からも「パン」の話からもわかるように,理屈上,単語の意味の推測は非常に難しい.ただ,なんと2歳児の単語の意味の誤認識率はたったの5%だという.言われてみれば娘の場合も,「パン」の例は面白くて記憶に強く残っているものの,その他大多数の言葉は正しく理解してきている.

では,ガヴァガーイ問題があるにもかかわらず,子どもたちはなぜほぼ正しい推測を行えるのだろうか.

認知バイアス

ことばの意味の推測ができるだけ正確に行える理由として,次のような「認知バイアス」が影響していると言われている.

  • 事物全体バイアス(特徴を抽出せず,全体を見る)
    → 「ガヴァガーイ」=「ウサギ」,「耳」「白い」,「動物」,「白い動物」,ウサギの名前,「ジャンプ」,「かわいい」,「美味しそう」

  • 事物カテゴリーバイアス(カテゴリー名だと思う)
    → 「ガヴァガーイ」=「ウサギ」,「耳」,「白い」,「動物」,「白い動物」,ウサギの名前「ジャンプ」「かわいい」「美味しそう」

  • 形バイアス(さまざまな階層のカテゴリーがある中で,形の類似性による分類を採用)
    → 「ガヴァガーイ」=「ウサギ」,「耳」,「白い」「動物」「白い動物」ウサギの名前「ジャンプ」「かわいい」「美味しそう」

  • 相互排他性バイアス(一つの対象には一つの名称)
    → 「ガヴァガーイ」=「ウサギ」,「耳」,「白い」,「動物」,「白い動物」,ウサギの名前,「ジャンプ」,「かわいい」,「美味しそう」のうち,既に知っている単語があればそれ以外だと考える
    ※ にんじんを「パン」と言う子に「にんじん」だよと教えると,それを「にんじん」と言うようになるだけでなく,「パン」とは言わなくなる

もちろん,バイアスとは偏見や先入観のことなので,必ず正しい推測が行える訳ではない.
ただ,例えば“黄色いプラスチックの取手付きコップ”を見せて「コップ」だと教えたときに,「コップ」=「取っ手」「黄色」または「この黄色いプラスチックの取手付きのもの特有の名称」とは認識せず,片手で持てるようなサイズで大きな窪みのある同じような形のものの名称だと認識するのはすごく妥当である.
※ これと同様であるのに失敗した例として,うちの娘は筆記具全般のことを「ペン」と言っている(笑)

図形の名称

前置きが長くなってしまったが,そろそろ算数・数学の話に移ろう.
勘の良い読者はお気づきかもしれないが,「長方形」「平行四辺形」「台形」などの図形のカテゴリー名についての話である.

小学校低学年の子どもにことばを教えるのに,「台形とは,向かい合う辺が並行である四角形のことである $\cdots$ ①」と“定義”から伝えるのはなかなか難しい.
まだまだ認知的に幼い彼らにはまず,たくさんの台形を見せ,「これらが台形だよ $\cdots$ ②」と伝えるのが妥当である.そうやって「形にはいろんな名前があるんだな」という認識から「こんな感じの形が“三角形”,こんな感じの形は“長方形”」と少しずつ感覚を学んでいく. (両者の違いなどについては そもそも定義とは? を参照されたい.)

少なくとも最初のうちは,平行四辺形を見せたときに「台形だ」と言う子どもは(もちろん教え方次第だと思うが)多くはいないだろう.
ただ,台形の定義を「1組の辺が平行である四角形」であるとすると,平行四辺形も台形の仲間である.つまり,平行四辺形と台形は似たカテゴリーではあるが同じ階層のカテゴリーではなく,平行四辺形 $\subset$ 台形という包含関係が成り立つことになる.

認知バイアス,特に相互排他性バイアスを考えると,時期によっては①のような教え方には無理がある $^\ast$ .しかし,直感的なバイアスを和らげ,より論理的な思考ができるようしていくことも大切だ.どこかのタイミングで①のような考え方も教え,子どもの思考の幅を引き上げていくことも,算数・数学教育の役割の一つではないかと思う.
* とはいえ,私は多角形の名称に関しては汎用性を考え,2,3歳ごろから娘に「かどっこが◯個だったら◯角形」という風には伝えている.

一つ課題として感じているのは,そもそも教える側が(ひいては生徒側も)あまりこの2つを分けて考えていないこと.発達の段階を見極める必要があるとはいえ,この2つの説明はどちらが正しいという話ではなく(定義として,ではない),さらに,意識的に使い分けていかないと混乱が生じる.
もちろん1人の生徒に対して一貫して1人の人間が教えている現場はごく僅かであろうから,仮に全員が意識していたとしても,教える側のバトンの繋ぎ方が難しいよなあと思っている.

なお,今回ご紹介した認知バイアスも含めた「推論」(演繹,帰納,そしてアブダクション)についても思うところがあるので,いずれ書こうと思っています.お楽しみに.

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